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東京高等裁判所 昭和32年(ネ)1163号 判決 1962年2月12日

控訴人 福田俊勝 外五名

被控訴人 長全寺

主文

原判決を取消す。

被控訴人に対する控訴人等の本件登記無効確認の訴は却下する。

被控訴人長全寺設立前の旧長全寺(当時の被告)に対する控訴人等の本件抹消登記手続請求の訴については昭和二十九年四月十三日被告旧長全寺の消滅により訴訟は終了した。

被控訴人長全寺に対する控訴人が当審において新たになした抹消登記手続の請求は棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ、かつ前記旧長全寺との間に生じたものを含めて、すべて控訴人等の連帯負担とする。

事実

控訴人等訴訟代理人は、「原判決を取消す、被控訴人は千葉県東葛飾郡柏町柏六百四十番地所在長全寺の宗教法人登記簿に千葉地方法務局松戸支局昭和二十五年三月二十三日受付第一五七号を以てなした同寺が新曹洞宗を離脱してその所属宗派を曹洞宗に変更した旨並びに主管者福田良芳は昭和二十五年三月二十三日辞任し右同日千葉県東葛飾郡柏町柏六百四十番地木船全能が主管者に新任した旨の各登記は無効であることを確認する、被控訴人は右長全寺の宗派離脱変更並びに主管者が辞任及び新任した旨の各登記の抹消登記手続をなすべし、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴人訴訟代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

なお従前の控訴人の内選定控訴人染谷武吉、同岩立忠義はそれぞれ単独で控訴取下書を当裁判所に提出したけれども、選定当事者として選定された者が数人あるときはその相互の関係は必要的共同訴訟となるのであつて、その一人の訴訟行為は全員の利益においてのみ効力を生じ、控訴の取下は控訴人等に不利益な行為であるから単独ではこれをなすことを得ず、選定当事者の全員によつてなされなければならない。従つて右選定控訴人両名のなした控訴の取下は選定者等のためにはなんらの効力をも生じない。ただ右選定控訴人両名は被選定者であると同時に選定前から当事者としての地位を有していたものであり、そのなした控訴の取下は同人等自身の本来の当事者としての地位を失わせるとともに選定当事者として選定される資格をも失わせることになるから、今や本件では同人等は選定当事者としての地位をも有しないものである。

当事者双方の事実上の陳述並びに証拠の提出援用及び認否は以下一ないし三に掲げるほかは原判決事実摘示の記載と同一であるから、ここにこれを引用する。

一、被控訴人訴訟代理人の附加した陳述。

旧長全寺寺院規則第九条、第十条に、住職は、一、住職の徒弟、二、法類、三、その他の者につき右の順位により住職若しくはその代務者又は法類総代がこれを選定してその任命を管長に申請すべきものと定められていること及び訴外木船全能は旧住職訴外福田良芳の徒弟又は法類でなかつたことは認めるが、旧長全寺の所属する曹洞宗の木船全能任命当時の宗法第三百六十九条には「在職ノ選定方法ヲ定ムルコト左ノ如シ一、住職ニシテ辞任又ハ転住セントスハトキハ住職ニ於テ徒弟中ニ就キ、徒弟中ニ適任者ナキトキ又ハ辞譲シタルトキハ法類中ニ就キ、法類中ニ適任者ナキトキ又ハ辞譲シタルトキハ法類外ニ就キ、干与者ノ同意ヲ得テ後任者ヲ選定シ、管長ニ其ノ任命ヲ申請スベシ<以下省略>」と定められてあり、本件の場合は良芳の徒弟又は法類中に適任者がなかつたのであるから、良芳の後任住職として木船全能が選定され任命されたことは適法である。

二、当審における新たな証拠。<省略>

三、被控訴人訴訟代理人は、当審昭和三十三年九月八日の口頭弁論において、旧長全寺は昭和二十九年四月十三日解散し新長全寺すなわち被控訴人がその権利義務を承継したから訴訟手続を受継する旨申立て、これに対し控訴人等訴訟代理人は原判決は新長全寺に対してなされたものであり、控訴人等はその判決に対して本件控訴の申立をしたものであるから、被控訴人主張のような受継の余地はないと答えた。

理由

先ず職権で訴訟承継につき審査する。

原判決は、控訴人と被控訴人すなわち昭和二十九年四月十三日設立された(と被控訴人の主張する)宗教法人による寺院千葉県柏市柏六百四十番地長全寺(以下本項において「新寺」と称する。)との間に言渡されたものであることはその判文上明らかである。しかしながら控訴人福田俊勝外四百四十名が原告となつて原裁判所に本訴を提起した昭和二十六年八月十四日当時は、まだ右被控訴人の設立前であり、訴状に被告として表示してあつた「千葉県柏市柏六百四十番地長全寺」とはその当時同所に存在していた在来の宗教法人令による寺院長全寺(以下本項において「旧寺」と称する。)を指すものであつたこと記録上明らかであり、それは原判決に被告として表示してある新寺とは別個の宗教法人である。そして、このように旧寺を被告として始まつた訴訟において新寺に対し判決が言渡されるに至つたのは、右訴訟の係属中昭和二十九年四月十三日宗教法人法による法人たる新寺が設立され、同法附則十八項により同日を以て旧寺が解散しその権利義務を新寺が承継し、これとともに旧寺の訴訟当事者としての地位も新寺が承継したものとされたからであることは原判決の判文上これを知ることができる。しかしながら右新寺の設立手続は旧寺の登記簿上の主管者木船全能等によつてなされたものと認められるところ、本件においては木船全能の右旧寺の主管者としての権限については訴訟の当初から争があり、もし同人に旧寺の主管者としての権限がなかつたならば、同人によつてなされた新寺の設立手続は無効となり、新寺は成立せず、訴訟の承継もなかつたことになり、旧寺はなお存続し(もつとも宗教法人法附則第十七項の規定によれば、旧寺も同法施行後一定の時期が到来すれば解散することになるけれども、この場合は清算の目的の範囲内においてなお法人格を保有する。)、控訴人等の本訴は形式上新寺の設立登記がなされて後もなお旧寺に対する訴として原裁判所に係属し判決も旧寺に対してなされなければならなかつたはずである。そしてこの場合にはたとえ旧寺の登記用紙の閉鎖後であつても旧寺が存在する以上旧寺に対し誤つた登記の抹消登記手続の請求をなし得ることを否定されるべき理由なく、そのことは旧寺が解散し清算手続中であつても異るところはない。そしてもしその請求を認容する判決が確定してこれに基く登記申請がなされるときは、登記官吏はさきに閉鎖した登記用紙を復活してこれに判決の命ずる登記の記載をしなければならないのであつて(宗教法人法附則第三項、第四項、宗教法人令施行規則第二十一条、非訟事件手続法第百五十六条、昭和二十年司法省令第七十六号、宗教法人登記及寺院教会財産登記取扱手続第九条、昭和十四年司法省令第五十八号商業登記取扱手続第三十九条参照)、登記用紙が閉鎖されていること又は旧寺が解散したこと等を以て旧寺に対する抹消登記手続請求に関する本案の判断を拒むことはできないのである。

もつとも記録によれば、原審においては控訴人等と被告たる旧寺との間において昭和二十六年九月十三日の第一回口頭弁論期日から昭和二十九年三月十一日の口頭弁論期日に至るまで弁論が重ねられ、同日は次回口頭弁論期日を同年六月二十四日と措定告知され、右次回期日の到来前同年四月十三日に新寺の設立登記がなされたにもかかわらずそのことは当初当事者のいずれからも指摘されず、記録上は新寺設立登記の事実が不明のまま双方とも従前と同一訴訟代理人の関与により同年六月二十四日及び昭和三十年三月十七日の口頭弁論及び証拠調が施行され同年四月二十一日の口頭弁論期日に至つて、はじめて被告訴訟代理人岩本宝より、同日附準備書面の陳述を以て、右新寺が設立され旧寺が消滅した結果原告の請求は訴の利益を欠くに至つた旨の主張がなされ、なお同代理人に対する新寺の代表者としての木船全能の昭和二十九年四月十三日附訴訟委任状が原裁判所に提出されて昭和三十年九月十五日受理されている。これに対し原告からは、昭和三十一年七月七日の口頭弁論期日において、はじめて同日附備書面の陳述により、新寺の設立手続が形引上行われ形式上新寺が存在することになつたけれどもこれにより旧寺が消滅したものではない旨を主張し新寺の設立手続をした旧寺の主管者木船全能の主管者としての権限を争うとともに、一方新寺による訴訟承継は争わない旨述べたのである(それまで被告は明示的に訴訟の承継を主張したことはないけれども、その訴訟上の態度は訴訟の承継を前提とするものと認められる。)。

しかしながら本件の場合右のように訴訟の承継があるものとするためには新寺の設立による旧寺の権利義務の承継があることを要するのであつて、この実体上の権利義務の承継いかんの問題と分離して単に形式上の訴訟手続の承継だけを当事者間に合意しても、かような合意には訴訟法上の効力を認め難く、本件においては原審で形式上の訴訟承継につき当事者間に争がなかつたにかかわらずなお訴訟承継の有無につき判断を加える必要があり、訴訟承継が肯定される場合にはじめて被控訴人に対し判決をなすことができるのである。よつてこの点を検討するに、旧寺につき昭和二十五年一月二十五日千葉地方法務局松戸支局受付を以て同寺が同月二十四日曹洞宗を離脱し所属宗派を新曹洞宗に変更した旨の登記がなされていること、同支局同年三月二十三日受付第一五七号を以て、同月二十二日同寺が新曹洞宗を離脱しその所属宗派を曹洞宗に変更した旨並びに主管者福田良芳が同月二十三日辞在し同日木船全能が主管者に新任した旨の登記がなされていること及び昭和二十九年四月十三日新寺につき宗教法人法の規定による設立登記がなされ、これと同時に旧寺は解散したものとしてその登記用紙は閉鎖されたことは、いずれも当事者間に争がない。右各登記原因事実の内旧寺の各所属宗派変更の点は旧寺の法人としての同一性には影響なく、かつその前後を通じ福田良芳が住職たる主管者であつたことは争がないのであるから、右の点は新寺設立の効力を判断する上に直接の必要はないようにも見えるが、新寺の設立手続を行つた木船全能が旧寺の主管者として登記されるに至つたのは後記のように曹洞宗管長の任命によるものであるからその任命の効力を明らかにする上においても、又後記のように訴訟費用の負担を定める上においても、右所属宗派の変更にまで遡つて判断する必要がある。よつてこれらの点も併せて以下順を追つて説示する。

(曹洞宗より新曹洞宗への所属宗派変更の有無について)

成立に争のない甲第五号証、同第二十号証、同第二十九号証、乙第八号証、同第十二号証、同第二十一号証、原審証人田中蘭溪の証言により真正に成立したものと認める乙第九号証、当審証人福田良禅の証言により真正に成立したものと認める乙第六号証、原審における控訴人福田俊勝本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認める甲第二十六号証、原審証人鈴木雷雄、同福田良禅(第一回)、同青蔭見明、同笠原滝蔵の各証言並びに原審における選定控訴人寺島義一及び控訴人福田俊勝各本人尋問の結果(俊勝は第一、二回)を総合すれば、曹洞宗に所属する旧長全寺では、昭和二十四年頃主管者である住職福田良芳が老年で気力衰え他の補助によつて漸く寺務を処理していた状態であり、良芳第一の古い従弟でその養子でもあり後任住職予定者として曹洞宗の宗務執行機関である宗務庁に登録してあつた控訴人福田俊勝との間には不和があり、養子離縁の訴訟が係属し、良芳よりその異母妹恵日はなの親族池田浩然を後任住職となすべく宗務庁に登録方を申請したところ俊勝より異議が申立てられる等種々の原因が重なつて、寺内の平和を欠き、これに伴い檀徒中にも俊勝を支持する者とこれに反対する者との二派の対立を生じて抗争するに至つたので、曹洞宗宗務庁においては、これを調停するため、昭和二十四年十一月二十七日同寺に法類総代、檀徒総代その他檀徒等を招集して総集会を開かせた結果、宗務庁側の提案として、(1) 俊勝は良芳に対し大展懺謝という謝罪の式を行うこと、(2) 池田浩然を後任住職候補とする登録申請は取下げること、(3) 良芳は一生長全寺の住職たること、(4) 俊勝は代務者として(ただし代務者となるには曹洞宗管長の任命が必要である。)良芳を補佐し寺務に従事すること、(5) 俊勝に過誤がないときは良芳没後は俊勝をして師跡を継承させること、(6) 良芳病身につき看護者の処理については法類総代、法友総代及び檀徒総代等にはかり円満裡に取運ぶこと、(7) なお檀徒総代は規則にかかわらず特例として同年十二月十日までに改選を行うこと、ただしその人員は五名とすることその他を内容とする調停案が示され、一応その場は表面上その案どおりに解決するかに見え、俊勝による大展懺謝の仏式も行われたが、実は右総集会を開いて事を決することには反俊勝派に不満があつて、同派の中には流会を希望しこれに出席しない者もあり、右宗務庁の調停案も反俊勝派にとつては満足できないものであり、その後右調停案に従い檀徒総代として選定控訴人寺島義一等五名が選挙された旨宗務庁に通知がなされるとこれとは別に反俊勝派の檀徒中より長全寺規則に従つて選任したと称して訴外山野辺政茂等五名の檀徒総代の選任の通知が宗務庁になされ、更に法類総代福田良禅及び住職福田良芳名義でこもごも宗務庁に対し右調停案のように俊勝を後任住職とすることには反対である旨の上申書が提出され、一方俊勝は同年十二月十二日千葉地方裁判所松戸支部において、恵日はな、池田浩然の寺院建物の一部の占有を解除しかつ反俊勝派の選任したと称する檀徒総代山野辺政茂、同笠原滝蔵、同根本精一が寺務に干渉するのを禁止する旨の仮処分決定を得てこれを執行する等、互に対立抗争して和協調停に遠く、宗務庁でも同年十二月中頃更に実情を調査したが結局円満和解の見込はなく、俊勝を代務者に任命する運びにも至らなかつたこと等の事実を認めることができる。更に前示乙第十二号証、甲第二十号証、同第二十九号証、原審証人田中蘭溪の証言により真正に成立したものと認める甲第一号証、乙第十一号証、成立に争のない甲第十六号証、同第十八号証、原審証人田中蘭溪、当審証人後藤喜八郎、原審及び当審証人福田良禅(原審は第一、二回)の各証言並びに原審における選定原告小溝善作、同寺島義一各本人尋問の結果、原審及び当審における控訴人福田俊勝本人尋問の結果(原審は第一、二回)を総合すれば、昭和二十五年一月に入り、さきの調停案が実行されないことに関し、住職良芳、法類総代福田良禅及び控訴人俊勝に対する処罰を宗務庁において議せられているということを長全寺に伝えた者があり、同月十六日頃良禅が良芳、俊勝の依頼も受けて宗務庁に行き確めたところ、翌朝までに右三者が和解した旨を記載した和解書を提出すべき旨を指示されたので、寺に帰つて三名協議の結果、取敢ず和解書なるものを作成するとともに(真実和解ができたか否か、和解書の内容いかん等の点は証拠上必ずしも明らかでない。)、その和解書が宗務庁に受入れられない場合には、「宗務庁を離れても良い」から処罰により良芳の住職としての地位を失われることは防ぐべきであるという程度の打合せをした上、右和解書に押すべき良芳の印については、同人の実印がないというので有合せの古い同人の認め印を右和解書に押し、同月十七日これを俊勝が宗務庁に持参したところ、その数刻前に何人かにより俊勝の持参する和解書は真正でない旨電報で宗務庁に連絡があり、そのため右和解書は宗務庁に留め置かれただけで正式に受理されるに至らなかつたので俊勝は目的を果さず寺に帰つたが良芳はすでに他出して日を経ても帰らずその所在も判明せず、結局これに連絡する途がなかつたこと、よつて俊勝は自己を支持する檀徒総代等と対策を協議中同月二十日附で宗務庁よりさきの調停案の成立を前提として宗務庁の発した指令は破毀する旨の通告もあり、宗務庁より処罰を受けることが切迫したように見えたので、同月二十三日に至り、良芳不在のまま俊勝等において宗務庁の処罰を免れるため長全寺を宗務庁の統制外の単立寺院とすることに決し、その旨の変更登記手続をしようとしたところ、登記官吏より単立寺院となつて後の所属宗派はいかにすべきかを釈明され、それはそれまで打合せていなかつたところであるけれども、これが定まらなければ登記申請も受理されない虞があつたので、取敢ず独断でこれを「新曹洞宗」と定め、曹洞宗を離脱し新曹洞宗に所属宗派を変更する旨の変更登記を同月二十五日附で受けることができたことを認めることができる。しかしながら旧長全寺の当時の寺院規則であると認められる成立に争のない乙第二号証の三、四によれば、長全寺が曹洞宗に所属することは規則第四条で定められ、この規則を変更するには干与者の同意と管長の承認を要することが同規則第四十二条で定められ、なお住職が同寺院を主管しこれを代表することは同規則第十二条で定められてあり、所属宗派を新曹洞宗に変更することは規則の変更であるから、少くとも住職が干与者(規則第十七条によればそれは法類総代、総代及び法友総代をいう。)の同意を得てなすべきであり、同寺院規則には住職に長期支障ある場合その職務を行うべき代務者の任命を管長に申請できる旨の規定はあるけれども、当時かような代務者の任命があつたことも認められないので、住職良芳自身の意思に基かないで所属宗派を変更する途はなかつたところ、同寺の所属宗派を具体的に「新曹洞宗」と定めたのは俊勝等が登記所において独断でなしたことであり住職良芳の意思に基くものでなかつたこと及び俊勝が和解書提出の目的を果さないで宗務庁より寺に帰つた時は良芳が他出した後であり、その後前記登記手続完了に至るまで良芳と会う機会の全くなかつたことは前認定事実により明らかであるから、右宗派離脱そのものも良芳の明示された意思に基くものであつたとはいえない。もつとも前掲良芳、俊勝、良禅三者間の打合せの結果である宗務庁を離れても良いということは、それ自体内容が明確でなく、解釈の仕方によつては相当広範囲な内容を持つかのようにも見えるが、右打合せの当時その意味内容を関係者の間で定め又は一定の内容を有するような了解に達したことはこれを認めることのできる証拠がなく、前示乙第二十一号証、成立に争のない乙第二十号証、同第二十五号証、原審証人田中蘭溪、同青蔭見明の各証言及び原審における選定控訴人寺島義一本人尋問の結果によれば当時良芳にとつては宗務庁の統制を脱することはやむを得ないとしても曹洞宗を離脱するようなことは全然その意中になく、長全寺の所属宗派の変更や長全寺の単立をなす意思を表明したこともないことが認められる。甲第二号証の一、二(新曹洞宗所属長全寺の寺院規則及びこれに対する檀徒総代等の同意書)には良芳の記名下にその押印のあることが認められるけれども前掲甲第十八号証及び原審における控訴人福田俊勝本人尋問の結果(第二回)によれば、右甲第二号証の一、二は良芳がすでに長全寺を去つて後控訴人福田俊勝等が宗派離脱の手続をなす必要上これを作成し、その手中に在つた良芳の印鑑を使用してこれに押印したものであることが認められるから、これを以て前認定を動かすことはできない。前掲甲第十六号証、同第二十九号証、成立に争のない甲第十七号証、同第十九号証、同第二十一号証の各記載、原審証人小溝善作、当審証人石戸勝三、原審及び当審証人福田良禅(原審は第一、二回)の各証言並びに原審及び当審における控訴人福田俊勝の供述(原審は第二回)中右認定に反する部分は採用し難い。ところで成立に争のない乙第三十四号証の一ないし三によれば宗務庁は永平寺、総持寺を本山とする曹洞宗の宗務を執行する機関であることが認められるから、右曹洞宗に所属しながら宗務庁の統制の外に立つということは、当時施行されていた宗教法人令の規定及び前示乙第三十四号証の一ないし三に定める宗制上不可能であつて、しかも所属宗派の変更はその寺院にとり極めて重要な事項であるから、前認定程度の打合せによつて打合事項にない所属宗派の変更までが暗默の間に合意決定されたものと解することは困難であり、所属宗派を変更してまでも宗務庁との絶縁の途を採るか又は所属宗派変更以外に途がないとすれば宗務庁との絶縁は断念しその処罰を避けるよう次善の途を選ぶかは更にその点についての良芳の意思の決定を待つた上でなければ決せられない事項であつたものというべく、「宗務庁を離れても良い」ということはそれ自体なお不確定な部分を含んでいたものであつて宗務庁を離れるということを既決の事項としてそのためには曹洞宗を離脱することがどうしても必要であるということから、良芳に確かめもせず結論を曹洞宗離脱にまで推し進めたことは良芳の意思の外に逸脱するものであつたといえよう。前掲甲第二十九号証、乙第二十五号証、成立に争のない乙第二十六号証、原審証人青蔭見明、同笠原滝蔵、原審及び当審証人福田良禅(原審は第一、二回)の各証言並びに原審における控訴人福田俊勝本人尋問の結果(第二回)を総合すれば、良芳は右宗派離脱登記の半月程後他人よりそのことを告げられてこれを知つたが、積極的にこれに反対してなんらかの具体的措置に出たようなこともなかつたことを認めることができるけれども、良芳は当時すでに老衰し気力も充分でなかつたことは前記のとおりであるから、これを以て宗派離脱が良芳の意思であつたこと又は俊勝等が良芳に代つてなした宗派離脱に関する行為を良芳が追認したものと認めることはできない。以上を要するに旧長全寺が曹洞宗を離脱して所属宗派を新曹洞宗に変更したことは当時の主管者たる住職良芳の意思に基かないものであつて、その効力がないものというのほかはない。

(曹洞宗復帰及び主管者変更の登記について)

前示乙第二十五、第二十六号証、成立に争のない乙第一号証、同第二十三、第二十四号証、右乙第二十四号証の記載により真正に成立したものと認める乙第十九号証の一、二、原審証人田中蘭溪、同山野辺みつ、同笠原セキ、同根本うめ及び当審証人石戸勝三(各証言中前掲採用できない部分を除く。)、同木船全能の各証言を総合すれば、良芳のもとの徒弟で姻族であり訴外海福寺の住職をしている田中蘭溪は、その後同寺に身を寄せていた良芳より、同人には最初から宗派離脱の意思なく、旧長全寺を曹洞宗離脱登記以前の状態に戻すことがその希望であることを聞いて、そのことについて宗務庁と交渉し、更に良芳には旧状復帰後において長全寺住職を辞任する意思があることを知り、宗務庁においては良芳辞任後は後任住職として訴外木船全能の任命を考慮していることを聞き、良芳に一任されて所要の手続を進め、その方法として曹洞宗離脱の登記の抹消登記手続の方法によらず更に新曹洞宗より曹洞宗に所属宗派を変更する旨の変更登記を申請する方法をとり、在来の世話人に諮り檀徒の中から山野辺みつ、笠原セキ、根本うめの三名を寺院規則に基き総代に選任し、その同意を得て同年三月二十二日新曹洞宗を離脱して所属宗派を曹洞宗に変更する旨寺院規則を改正し曹洞宗管長の承認を受け、一方良芳は同月二十三日辞任し曹洞宗管長より曹洞宗長全寺の後任住職として木船全能が任命されたので、同年三月二十三日附で同月二十二日新曹洞宗を離脱して所属宗派を曹洞宗に変更した旨及び同月二十三日良芳が辞任し木船全能が後任主管者に就任した旨宗教法人登記の変更登記申請がなされ、同日その旨の登記が完了したことを認めることができる。前掲甲第十九号証及び原審証人梅沢仙吉の証言によつては右認定を動かし難く、右認定に反する原審証人福田良禅(第一回)、当審証人後藤喜八郎、同福田良禅、原審における選定原告小溝善作本人の各供述部分は採用し難く、甲第七号証には右認定と相容れない記載があるけれども、同号証のたやすく採用できないことは後記のとおりであり、又原審証人田中蘭溪の証言により真正に成立したものと認める甲第二十二号証によれば、前記女性檀徒総代の選任は良芳の意思に反するかのように見えるけれども、前掲乙第二十三号証及び原審証人田中蘭溪の証言によれば、右選任は良芳が自身の行為によりこれをなしたものでないとはいえ、同人の意を受けて田中蘭溪がこれをなしたものであることが認められ、甲第二十二号証の文字どおりの記載が事の真相に合致するものとは認め難いので、これを以て前認定を左右することはできない。その他以上の認定をくつがえすに足りる証拠はない。そして在来の長全寺が所属宗派を新曹洞宗に変更した事実の認められないこと前認定のとおりである以上、昭和二十五年一月二十五日なされたその旨の変更登記は真実に合致せず、従つて新曹洞宗より曹洞宗に所属宗派を変更するという右第二の登記もその部分の登記原因自体は事実に沿わないことになるけれども、結局所属宗派変更に関する前記誤つた第一の登記を是正しこれを真実の状態に復したことになるのであるから、その登記申請が受理されて登記簿に記入された後においては、右登記は客観的事実に合致し、これを有効であると解しなければならない。控訴人等は(1) 右新曹洞宗より曹洞宗に所属宗派を変更するにつき同意を与えた檀徒総代三名については、新曹洞宗長全寺規則に定められた選任の要件たる新曹洞宗長全寺の檀徒総代及び世話人に対する諮問を欠いている、(2) 新曹洞宗長全寺規則によれば檀徒総代の定員は三名であつて当時欠員がなかつたから、前記山野辺みつ外二名の女性総代を選任すべき余地なく、これらの者は選任されても檀徒総代としての資格がないからその同意は無効である、(3) 仮にそうでないとしても、右女性総代三名の内根本うめは新曹洞宗長全寺の寺院規則の変更に同意した事実がない、(4) 右檀徒総代山野辺みつ、同根本うめは、それぞれその夫山野辺政茂又はその子根本精一により意思決定を左右され自らの意思に基いて総代としての同意をしたものではない、(5) 右曹洞宗への所属宗派変更に関する住職良芳の意思表示及びこれに対する女性総代三名の同意は新曹洞宗長全寺の檀信徒の総意又は大多数の意思に反するものであるから無効である等種々の事由を挙げて新曹洞宗長全寺が所属宗派を新曹洞宗から曹洞宗に変更したことが無効であることを主張するけれども、そもそもその前提たる長全寺が曹洞宗から新曹洞宗に所属宗派を変更したこと自体が認められないことさきに説示したとおりであり、そのいわゆる新曹洞宗長全寺の寺院規則なるものも主管者良芳の意思に基いて定められたものとは認められないので、控訴人等の右(1) ないし(5) の各主張はその前提を欠き採用できないのみならず、証拠上も前認定をくつがえし昭和二十五年三月二十三日受付でなされた本件所属宗派変更登記につき結果においてこれを無効としなければならないような違法な点があることを認めることができないから、この点に関する控訴人等の主張は理由がない。以上のように旧長全寺は登記簿上はその所属宗派を一旦曹洞宗より新曹洞宗に変更し、次いで再びこれを曹洞宗に変更したように記載されているけれども、真実はこれと異り終始曹洞宗に所属しその所属宗派を変更したことはなかつたものというべきである。

(後任主管者木船全能の資格について)

福田良芳が昭和二十五年三月二十三日旧長全寺の主管者を辞任し、木船全能がその後任者に任命されたことは前示のとおりである。控訴人等は種々の理由を挙げて木船全能が旧長全寺の後任住職として主管者となつたことの効力を争つているのでこれらの点について判断する。

控訴人等は、良芳には住職を辞任する意思はなかつた旨主張し、良芳が当時老衰かつ無気力であつたこと及び同人が宗務庁の処罰による住職の地位の喪失をいたく恐れていたことは前認定のとおりであつて、その辞任も本人の積極的自発的な希望に発したものとは認め難いけれども、前示乙第二十一号証に記載されている良芳の供述は、その趣旨必ずしも明確ではないが全体を通読すれば、良芳には住職辞任の積極的意思はなかつたが事態が同人の職に留まることを困難としたので致し方なく辞任するに至つたという趣旨に解釈することができ、同号証と原審証人田中蘭溪、当審証人石戸勝三、原審及び当審証人木船全能の各証言とを総合すれば、当時良芳は老耄し自ら寺務を行うことを得ず、長期にわたつて寺を離れて帰らず、その間代務者を置く気力もなく、又他の者が代勝者選定の手続をして良芳の回復を待つということも困難な情勢であり、いつまでもそのまま放置して置くこともできないような状態であつたこと、かような状態の下において同人が身を寄せていた近親者の訴外田中蘭溪は、長全寺のために、良芳を補佐しその意を受け、良芳の一生の間長全寺がその面倒を見ることを後任住職が引受けることを条件として住職交迭の手続をとつたものであり、良芳においても内心の不満は別とし事情やむを得ないものとして辞任を承諾し田中蘭溪にその手続を一任したものであり、その辞任及び後任住職木船全能選定の手続は良芳の意思に基いてなされたものであることを推認することができる。右認定に反する原審及び当審証人福田禅良(原審は第一回)の証言部分並びに原審における選定原告小溝善作本人の供述部分は採用し難い。原審証人田中蘭溪の証言により真正に成立したものと認められる甲第七号証(昭和二十六年一月三十一日附良芳の検察官宛上申書)によれば、良芳自身後日に至つて住職を辞任する意思はなかつた旨の書面を作成して検察官に提出したことが認められるけれども、前掲乙第二十号証及び同号証の記載により真正に成立したものと認められる乙第三十一号証によれば、良芳は昭和二十五年三月二十五日曹洞宗宗務庁に対し木船全能に辞職後の事務引継を終えた旨を記載した引継届を提出したことが認められ、右事実は前示甲第七号証の記載とは全く相容れないものであつて、原審証人田中蘭溪の証言並びに原審及び当審における控訴人福田俊勝本人尋問の結果(原審は第二回)を総合すれば、良芳は前記のとおり老衰無気力で重要な事項についても一貫した態度をとることができず他人の申向けようによつてどのようにでも答が変るような状態であつたことが認められるので、これら相矛盾する書面のいずれが良芳の真意に沿うものであつたかは、文面だけでは決し難く、結局良芳とともに起居して日常の談話等の間にその真意を察知することができる状況に置かれていた田中蘭溪等の前記証言により認定した事実は右甲第七号証によつてくつがえすことはできない。その他には以上の認定を左右するに足りる証拠がないので、良芳の辞任を以てその意思に基かないものということはできない。

控訴人等は、新曹洞宗寺院規則によれば住職辞任の場合は後任住職として副住職が当然就任すべき定のところ良芳辞任当時の新曹洞宗長全寺の副住職は俊勝であつたから同人を度外視してなした後任住職木船全能の選任は無効であると主張するけれども、長全寺が所属宗派を新曹洞宗に変更したことの認められないことは前示のとおりであり、新曹洞宗寺院規則なるものも主管者良芳の意思に基いて定められたことは認められないのであるから、右主張はその前提においてすでに失当なことが明らかであり採用できない。

控訴人等は、仮に新曹洞宗長全寺規則が認められないとしても、旧曹洞宗長全寺の寺院規則を見ても、その第九条には「本寺院ノ住職ハ………左ノ順位ニ依リ之ヲ選定ス、一、住職ノ徒弟、二、法類、三、其ノ他」と規定し、同第十条には「住職ノ任命ヲ受ケントスルトキハ住職又ハ其ノ代務者ニ於テ住職及其ノ代務者共ニナキトキハ法類総代ニ於テ前条ノ順位ニ依リ後任者ヲ選定シ干与者ノ同意ヲ得其ノ任命ヲ管長ニ申請スルモノトスル」と規定されていて、その選任は宗派管長の行うものではないから良芳の徒弟でも法類でもない木船全能を管長が住職に任命したことは、その選任の順序に違反した点及び選任権者でない管長が任命を行つたという点において違法であり、その効力がないと主張し、旧曹洞宗長全寺規則中に右のような各規定のあることは当事者間に争のないところであるけれども、同寺の所属する曹洞宗の当時の宗法に先順位者中に住職適任者がなかつた場合につき第三百六十九条として被控訴人主張のような規定があつたことは前示乙第三十四号証により明らかであり、右規定及び旧長全寺寺院規則(乙第二号証の三、四)第十一条によれば、徒弟、法類中に適任者がないときは右の順位によらないで後任住職、法類中に適任者がないときは右の順位によらないで後任住職を選定できることになつており、本件においては、徒弟俊勝は同人と住職良芳との不和に基く寺内抗争及び曹洞宗離脱の企図に関する前認定事実から見て後任住職の適任者とされなかつたことは当然であり、他に法類総代福田良禅があるけれども前掲甲第五号証並びに原審及び当審証人福田良禅の証言(原審は第一回)を総合すれば、宗務庁において前認定のように長全寺の紛争の調停を試みた当時、良禅には紛争解決につき法類総代としての同人にかけられた宗務庁の期待に沿わないところがあり、かつ俊勝が長全寺を曹洞宗より離脱させようとした際良禅もその協議に与つたことが認められるので、良禅が後任住職の候補者から除外されたことも、それが違法でこれにより次順位者の住職選任を無効ならしめるものであるとまではいえない。そして右以外に徒弟法類中後任住職としての適任者があつたことを認めることのできる資料はないので、結局適任者はなかつたものと推認すべく、従つて良芳の徒弟又は法類に該当しないこと当事者間に争のない木船全能が後任住職に選定されたことを長全寺規則に違反する無効のものであるということはできない。又旧長全寺の主管者すなわち住職の地位を取得するには、選定だけでは足りず更に曹洞宗管長に申請してその任命を受けることを要することは前示旧長全寺寺院規則の規定により明らかである。

控訴人等は、宗教法人令施行後は曹洞宗の管長はこれと別個独立の宗教法人である長全寺の住職の任免権は有しないと主張するけれども、右住職木船全能任命当時施行されていた宗教法人令の下においては、ある宗派に属する宗教法人たる寺院は、その規則中に所属宗派を明らかにすべきものと定められ(同令第三条第一項第三号)、宗教法人たる宗派はその規則中に所属寺院に関する事項を定むべきものとされており(同令第二条第六号)、この所属寺院に関する事項の具体的内容については特別の規定はないけれども、宗教法人がその教義をひろめ儀式行事を行い、その他宗教上の活動をなす上において、宗旨を同じくする寺院が所属宗派のある程度の統制に従うことを相当とする場合にこれに関する事項を定めるようなことは、それが著しく妥当を欠き違法なものと目せられない限り、当然同令の許容するところというべく、所属寺院の住職の任命を所属宗派において行うことを定めることもこの例に洩れるものではない。そして寺院がある宗派に所属し又はこれより脱退することはその寺院が自ら定めるのであつて他から制約強制されるものではないから(宗派を脱退するためには寺院規則の変更を必要とするけれども、この寺院規則の変更には同令第六条の規定にかかわらず所属宗派の主管者の承認を受けることを要しないものと解する。)、寺院がその自由な意思決定によりある宗派に所属した場合には、その宗派規則中の所属寺院に関する事項の拘束を受けることを自ら同意したものというべく、その宗派に所属する限りその拘束を受け、宗派規則中の住職の任免に関する規定も、それが違法と目せられるほど不当なものでない限り、当然所属寺院に対し效力を及ぼすものというべきである。本件において、前示乙第二号証の三、四(旧長全寺寺院規則)の第九条ないし第十一条によれば、長全寺住職は寺内で選定して管長の任命を申請すべきものと定められてあり、一方前示乙第三十四号証の一ないし三によれば、その所属宗派たる宗教法人曹洞宗においては、所属寺院の住職は同宗宗憲及び宗法の規定により管長が任命すべきものと定められているので、旧長全寺の主管者すなわち住職の地位を取得するには寺内における選定だけでは足りず更に曹洞宗管長に申請してその任命を受けることを要することが明らかである。従つて管長による住職の任命は法律上の根処を備えるものであり、その任命権を争い任命の無効を主張する控訴人等の見解は採用できない。

以上のとおりで旧長全寺の主管者たる住職は、昭和二十五年三月二十三日以降は木船全能となつたものである。

(新長全寺の成立と旧長全寺の消滅)

成立に争のない乙第三号証、同第四号証の一、二、前示乙第二号証の三、四並びに原審及び当審証人木船全能の証言によれば、昭和二十六年四月三日宗教法人法が施行されたので、旧長全寺の主管者木船全能は、同寺を宗教法人法による寺院にするため、同法附則第五項、第十一項、第十五項、旧長全寺寺院規則第四十二条の定めるところに従い新長全寺の規則を作成し、昭和二十七年九月十日所轄千葉県知事に認証の申請をなし、昭和二十九年三月二十九日附でその認証を受け、同年四月十三日新長全寺の設立登記を経由し、これによつて新長全寺が成立したことを認めることができる。従つて同法附則第十八項の規定により同日を以て旧長全寺は解散し、その権利義務は新長全寺が承継し、この場合には法人の解散及び清算に関する民法の規定の適用は排除され旧長全寺が清算の目的の範囲内で存続するという余地もないので、同日限り旧長全寺の法人格は消滅したものというべきである。

(訴訟承継の有無)

控訴人等の原審以来の請求は、宗教法人法施行以前における宗教法人令に基く旧長全寺の所属宗派の変更及び主管者の変更の登記の無効確認並びに当該登記の抹消登記手続を求めるものであるところ、このうち変更登記の抹消登記手続を求める請求については、その登記は旧長全寺の主管者の申請によりなされることを要することは宗教法人令施行規則第十六条により明らかであつて他の第三者においてその申請をなすことを得ないから、右請求に係る旧長全寺の義務は、仮にそれが本来肯定されるべきものであつたとしても、性質上旧長全寺の法人格に専属し、新長全寺の設立によりこれに承継されることがない。さればこそ宗教法人法附則第十九項は、旧宗教法人が新宗教法人となるための設立の登記がなされたときは登記官吏は職権で当該旧宗教法人の登記用紙を閉鎖しなければならないものとし、旧宗教法人につき登記すべき事項が発生していてまだその登記がなされていない場合を除外してはいないのである。従つて右訴訟の係属中宗教法人法による新長全寺が成立し、これによつて宗教法人令による旧長全寺が消滅した以上、これとともに右請求に係る権利義務もまた当然消滅し、この点に関する限り本案訴訟は終了することとなり、ただ、すでに生じた訴訟費用に関する権利義務だけは旧長全寺の法人格に専属するものでもないので新長全寺が承継するから、その限度においてのみ訴訟の承継を来すことになる。これに反し控訴人等の請求中旧長全寺の宗教法人登記の無効確認を求める部分は、単に相手方に対する関係で登記の無効の確認を求めるに止まり相手方の行為を求めるものではないから、かような請求が許される限り(そのことは終局判決においてのみ判断される。)相手方が変更すれば、新たな相手方との関係で確認の利益の有無につき変動を生ずることはあつても、これにより請求そのものが絶対的に消滅することはない。従つて相手方たる旧長全寺の消滅により当然訴訟の終了を来すものということはできない。よつて裁判所としては、新長全寺が成立し旧長全寺が消滅した以上、旧長全寺に対する控訴人等の請求中登記の無効確認の請求及び訴訟費用の負担については、訴訟の承継があつたものとして新長全寺との間に判決をなすべく、旧長全寺に対する抹消登記手続の請求については判決をなさず単に訴訟の終了したことを宣言するに止むべきである。

なおこの訴訟の承継については、原審では、当事者のいずれよりもその旨の明示の主張のなされなかつたことは前示のとおりであり、当審に入つてはじめて被控訴人訴訟代理人より訴訟手続受継の申立がなされるに至つたけれども、宗教法人法附則第五項、第十八項の規定により旧宗教法人が解散しその権利義務を新宗教法人が当然承継する関係は、当事者たる法人が合併により消滅し、その権利義務を合併により存続する法人が承継する場合と類似し、かつ旧宗教法人たる長全寺には訴訟代理人があり、この代理権の基礎をなす委任関係は新宗教法人たる長全寺の設立により当然これに承継され訴訟代理権は消滅しないものと解すべきであるから、民事訴訟法第二百九条第二百十三条の法意に照しこの場合は訴訟の中断を来たさずそのまま訴訟手続は新寺との間に承継されて進行するものというべく、特に新長全寺について訴訟手続を受継ぐことを要しない。

(登記無効確認請求に対する判断)

控訴人等が無効確認を求める昭和二十五年三月二十三日受附の変更登記は旧長全寺の登記用紙についてなされたものでありその内容は旧長全寺の宗教活動と不可分の関係に在るところ、前示のように新長全寺の成立によつて旧長全寺は消滅し、なお、宗教法人法附則第十九項の規定により旧長全寺の登記用紙はこれと同時に閉鎖されて存在しないのであり、このようにすでに法人格の消滅した旧長全寺について同寺の存在していた当時なされた過去の登記の無効なことを主張し、同寺とは別の宗教法人である新長全寺すなわち被控訴人に対してその無効であることの確認を求めることは、仮にその趣旨を単なる事実の確認を求めるものではなく右登記により生じた法律関係の確認を求めるに在るものと解しても、控訴人等のすべての主張立証を精査してもその確認を求むべき法律上の利益あることを認めることができないので、右請求については確認の利益を欠くものとして訴を却下すべきであり、当事者適格がないものとして、この部分の訴を却下した原判決は失当である。

(抹消登記手続の請求について)

原判決がすでに訴訟の終了した登記抹消の請求につき本案前の判断をしたことは失当であり、右請求は被控訴人(新)長全寺の成立により終了した旨を宣言するに止むべきであつたことは前示のとおりである。ただ控訴人は、控訴状に、控訴の趣旨として、被控訴人に対し右登記の抹消登記手続を求める旨記載し、当審において改めて被控訴人新長全寺に対し右と同様の抹消登記手続の請求をしているのであるが、かような抹消登記手続は旧長全寺の存続中旧長全寺の代表者だけがその申請をなすことを得べく、新長全寺においてはこれをなすことができないこと前示のとおりであるから、当審において直接被控訴人に対してなされた右新たな請求は理由がないものとしてこれを棄却すべきである。(右請求は、旧長全寺に対する請求につき被控訴人新長全寺に訴訟追行の資格があることを前提とするものではなく、被控訴人新長全寺自身の固有の義務の履行として抹消登記手続をなすべきことを求めている趣旨と解せられるから、被控訴人に当事者適格がないとはいえない。)

(訴訟費用の負担について)

控訴人等の抹消登記手続の請求については、被控訴人新長全寺の成立により訴訟は終了したけれども、元来右請求の対象とされた昭和二十五年三月二十三日附の変更登記は、すでに説明したとおり結果において真実の法律関係に合致する有効なものであるから、その抹消登記手続を求める控訴人等の請求は旧長全寺存在当時に在つても理由のなかつたものである。従つて訴訟終了前右請求について生じた訴訟費用は全部控訴人等の負担とすべきである。

(結語)

よつて原判決を取消し、本件登記無効確認の請求については確認の利益を欠くものとして訴を却下し、旧長全寺の存在当時からなされていた抹消登記手続の請求については昭和二十九年四月十三日当事者旧長全寺の消滅により訴訟が終了したことを宣言し、被控訴人(新)長全寺に対し当審において新たになされた抹消登記手続の請求は理由がないからこれを棄却すべきものとし、民事訴訟法第九十六条、第八十九条、第九十三条第一項但書を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 川喜多正時 小沢文雄 賀集唱)

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